まわしよみ新聞/平和

「笛田ちひろのまわしよみ新聞」ついに100号!旧百三十銀行ギャラリーでの記念展、大盛況でした。

「笛田ちひろのまわしよみ新聞」が茨城新聞に取り上げられました!

8歳からニュースと向き合って、「ニュースのソムリエ」として、市民記者を経て、「笛田ちひろのまわしよみ新聞」へ!

市民記者時代、日韓市民記者交流会の名札。市民記者として記事を書き、ヤフーニュースに掲載されたこともありました。

笛田ちひろのまわしよみ新聞。福岡ライオンズ女子会とコラボして独断と偏見に満ちた新聞遊び(笑)

マスキングテープを使ってデコッって可愛く仕上げ。A4画用紙にネタをたたき込みます(^_^;)

編集長の個性まで楽しんでいただく新聞遊び「笛田ちひろのまわしよみ新聞」。学校から地域まで様々なところで開催できればと思っています。ご興味のある方は是非お問い合わせください。


リコーダーの音色とともに「ヒロシマ」を語る~広島に生かされたものとして~

活動を立ち上げた2003年に「広島授業づくり研究会」と出会い、通う間に被爆樹木をはじめ、それまで知らなかった様々な「ヒロシマ」を知ることができました。


 そして私自身、親に話を聞くと「ヒロシマ」と無関係ではないことも知りました。
知ったからには伝えたい。


 知られざる「ヒロシマ」を案内したこともありますし、これからも私が見聞きした「ヒロシマ」を語り、そして街中にある様々な「ヒロシマ」を案内したいと思っています。

いつもここに立つと涙がこぼれます。目をつむると、まるで川に飛び込んでいった人の姿が目に浮かぶようで…

意外と知られていないこと。いつも催事などで賑やかなデパートの壁面も、8月6日だけは、実は、垂れ幕がすべて降ろされ、追悼の幕だけになります。

被爆電車の車両です。広電は原爆投下3日後に再び走り始めました。

どこまでもむごい原爆。それでも生き抜いた「被爆樹木」があります。生き抜いた命から感じ取る平和のメッセージがあります。

2022年8月、北九州友の会にて演奏を交えながら一時間たっぷりと「ヒロシマ」について語りました。(写真をクリックするとその時の様子をお読みになれます。)

 私は北九州在住ではありますが、広島に縁をいただき、20年広島に通い、今は母が広島に住んでいることもあり、様々な知られざる「ヒロシマ」を見聞きしてきました。


 2022年8月、北九州友の会にて一時間たっぷりとリコーダー演奏を交えながら「ヒロシマ」について語る機会をいただきました。上の写真をクリックすると、その時の様子を紹介してくださった北九州友の会のページに飛ぶことができます。演奏も「ヒロシマ」にまつわるものだけを演奏しました。


 日頃、自身の経験から自分らしさや障害について語ることは多いですが、「ヒロシマ」についてたっぷりと語ることはなかなかありませんでしたのでとてもうれしかったです。


 生粋の広島人ではないものの、第二の故郷、広島に生かされてきた者として「ヒロシマ」を語り続けることも私の大きな柱です。ご依頼があれば「ヒロシマ」についても大いに語っていきたいと思います。また、広島を実際にご案内することもできたらと思っています。